私は幼少の頃から母子家庭で育ちました。
私が小学校三年生のとき、母は重度の結核で余命1年と宣告されました。
奇跡的に回復したあとも、病弱な体を押して働き、
私を大学まで行かせてくれた母への感謝は尽きることがありません。
大阪大学卒業後、公明新聞への入社を機に東京・北区へ。十条の地で結婚し、現在は妻と娘の3人家族です。
防災・福祉の最前線を取材して回る現場第一の記者生活19年を経て、2005年7月、都議会議員に初当選。
「命を守る政治」を信条に、これまで走り抜いてまいりました。
防災対策をはじめ、子育て・教育支援や福祉など、40,000件を超える皆さまからいただいたお声を力に、都政を一つ一つ進めてまいりました。
誰もが安心して暮らせる希望と笑顔あふれる北区へ、これからも全力で働いてまいります。
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大松あきら
都議会公明党副政務調査会長、公明党北総支部長
1960年11月、神戸市長田区生まれ
大阪大学法学部卒。
プロフィール
「大松あきら」ってこんな人
大松あきら Q&A
趣味は?
以前は真空管アンプやプラモデルに熱中。30代の頃は埼京線の版画を彫って、年賀状を作成しました。 細かいことを突き詰めてやるのが好きです。
その他に好きなものは?
演芸も好きです。2代田広沢虎造の「清水次郎長伝」が大好きで、 映画は、キューバ危機を米国がどう乗り越えたかを描いた「13デイズ」がお気に入りです。 10回以上も鑑賞しました。本当に凝り性です。
好きな食べ物は?
スイーツ全般と、麺類ですね。
学生時代に目指していたものは?
真面目な人が報われる社会の実現を目指し、弁護士を志望。 その夢は大学入学後、挫折しましたが、この志は議員になってからも変わっていません。
阪神・淡路大震災での教訓は?
当時の政府の対応は遅く、被災者の皆さまの不安と疲労はピークでした。 そんな中でしたが、私たち取材班も、避難所でのポランティア活動に汗を流しました。 この経験が、議員として防災・減災対策を進める大きな原点となっています。
今後の決意を。
課題山積の都政は今、大きな転換点にあります。 特に首都直下地震も懸念されており、「事前の対策、事後の対応に万全を尽くすとの思いで、 都民、区民の皆さまの安全・安心を守り抜くために、一生懸命、働いてまいります。
大松あきら物語
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